1999年12月1日水曜日

「真空リーダー」は日本を変えるか

秋が深まり東京は一年でもとりわけ美しい季節となった。わけても当社の竹橋ビルから眺める皇居の樹海はすばらしい。都心のど真ん中の超一等地にありながら、この100ヘクタールを越える森林は、注意深く自然林の形態が維持され、野鳥や植物の楽園ともなっている。その周りを取り巻くのは、大手町、丸の内、霞ヶ関などで、日本のほとんどの政治・経済活動がそこに集積され、巨大なパワーセンターが形成されている。しかしその中心には、ぽっかりと穴があいていて、そこには自然があるばかりである。

この東京という都市の特殊な構造に最初に着目したのはフランスの構造主義者のロラン・バルトだ。もう30年も前になるが「いかにもこの都市には中心がある。でもその中心は空虚である」と喝破したのだ(『表徴の帝国』1970年)。以来、この言葉は日本文化と社会の特殊性を物語る言葉としておびただしく引用されてきた。

中心が「空」である組織の利点として、安定性がある。話し合いによるコンセンサスがベースにあるからである。欠点としては、逆にあまりにも安定的すぎて、変化し難いことがあげられる。変化を受け入れる風土は希薄で、強いリーダーシップは昔から胡散臭いものと考えられてきた。(ちなみに、日本史における「国民的英雄」は例外なしに悲劇的な最期を遂げる。ヤマトタケル、源義経、楠木正成など。リーダーは挫折してはじめて人々から愛されたのである。)

しかしそれでは日本は永久に変化できないかと言えばそうでもない。数百年に一度は、すごいリーダーが出現して、中心の真空部分に降り立ち、社会に革命的な変化をもたらすのだ。それが源頼朝であり、徳川家康であり、大久保利通であった。いずれも人々から決して愛されはしなかったが強力なリーダーシップを発揮し日本を確実に変化させた。

このような強力なリーダーはどの様な条件が満たされたときに日本に出現するのかだが、いずれの場合でも、人々が現状につくづく嫌気し、変化を求めるコンセンサスが背景にあったように思う。

日産自動車にルノーからゴーン氏がやって来て、ドラスティックな改革を進めている。不思議なことに社内ではそれほど大きな抵抗はないときく。ゴーン氏がやっている改革とは、日産の社員がだれもがやらねばならないと考えていた(しかし出来なかった)ことに過ぎないからということだ。リーダーシップを受容する条件が整っていたのだ。

日本全般についても同じことがいえる。いまや変化の必要性、その方向についてコンセンサスがしっかり形成されている。まさにリーダーシップを受容する条件は整っているのだ。いったんコンセンサスができると日本は動く。日本の変化は確実に始まっているように思う。

(橋本 尚幸)